滋賀県湖南市でみのり助産院をしています、助産師のたついけ ちひろです。
出身地 | 滋賀県近江八幡市 クラブハリエの本店があります |
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出身校 | 八幡西中学校 彦根東高校 神戸市看護大学 京都医療センター附属京都看護助産学校 |
誕生日 | 11月20日 |
血液型 | 19歳までA型と信じて生きてきたB型 |
資格 | 助産師
元まるまる育児アドバイザー |
趣味 | 趣味がない!!けど気になったことはなんでもやってみる! |
これは自慢だ | 息子4人が自他ともに認めるいい子に育ってる! |
休日の過ごし方 | 読書がしたい・・・実際はたまった家事と末っ子くんのお相手 |
☆助産師 たついけ ちひろ の歩み☆
助産師にはならない!
母が助産師で、「将来は手に職を!」という勧めから看護職を目指しました。
しかし、「お母さんが助産師さんだから助産師を目指すのね」という声に反発し
「助産師にはならない!!」
と大学1年の時点で助産師になるとう選択肢は消失しました。
また、看護を勉強している中で病気ではない妊娠~産後のケアがいまいち理解できず
「赤ちゃんは可愛いし、褥婦さんと話すのは楽しいけど看護師としての私は必要??」
そんな気持ちのまま終えた実習では、実習担当教諭からまさかの「提出記録を全部やり直してもらいたいくらいダメ!」の評価(゚д゚)!
苦手意識もプラスされますます助産師は自分から遠い存在になりました…(-_-)
卒業論文も老人看護学を専攻したにも関わらず、看護学生最後の希望実習で第一希望、第二希望の抽選にもれ、なんの因果か、よりによって決まった実習先は 母性看護学 !!!
「将来は助産師になる!!!」という熱い想いを持った同級生ばかりの中、抽選にもれたから仕方なくやってきた私・・・
と泣きながら友人に話していました。
とはいえ、いまさらどうすることもできずこの実習を落とせば卒業ができない・・・
実は、これが私の人生を大きく変える出来事になったのです。
人生を変えた母性実習
実習の初日、初産婦さんのお産の見学につかせてもらうことになりました。
はじめてのお産で不安がいっぱいの中、ご主人と一緒に陣痛を乗り越え、陣痛中も助産師さんがいることでとても安心した表情になる産婦さん。
その後始まる赤ちゃんとの生活では、はじめは抱っこも怖々だったお母さんが退院のころには一通りのことができるようになり、1ヶ月健診でお会いした時には赤ちゃんへの声かけからお世話の仕方まですっかり立派なお母さんになられている!!
間近で見たこの女性の変化に感動!!
お産だけでなくその先の助産師さんの関わりに感動!!
たくさんの感動を体験した1ヶ月、母性看護学が苦手で、助産師にはならないと言っていた私は実習が終わるころには
「私は助産師になる!!!!」
と決意をしていました。
助産師として就職
2005年助産師として最初に就職したのは、運命の実習先である総合病院の周産期センター新生児室でした。
「助産師の花形は分娩介助!」
と思っていた当時の私は分娩介助ができないまま過ぎる日々に焦りを感じながらも毎日必死で働いていました。
就職して3年目、結婚のため地元の滋賀で再就職をしました。
新たな職場では新生児室での学びも大いに役立ち、分娩時から母子に関われることにやりがいを感じながら、たくさんの経験をさせてもらいました。
自身の妊活
2007年に結婚して数ヶ月、自分の無排卵がわかり半年間ピルを内服。
「職場も変わったばかりだし、新婚生活も楽しみたいからちょうどいいわ。 病院いったら妊娠するでしょう」
それくらいの気持ちでいましたが無排卵は改善せず標準不妊治療を開始しました。
この間に病院の治療以外にしていたことは、
なんとなく妊娠に効くと言われる迷信めいたことばかりでした。
「自分が原因なんだから頑張らないと!!」
と通院を続けていましたが、全然結果が伴わないことが辛くなり約1年で病院通いをやめました。
しかし、治療のストレスはないものの、自力では生理は来ず・・・
「このままじゃだめだ!やっぱり赤ちゃんが欲しい!!」
との想いから、3か月の治療休止を経て治療を再開しました。
2009年9月、ホルモン注射の影響で卵胞がとてもたくさん育ちました。
主治医からは、採卵目的ではないので、この回の排卵誘発を見送ることを提案されました。
「いやだ!!!妊娠のチャンスを逃したくない!!!」
という想いから排卵誘発を懇願し排卵誘発の注射を打ってもらいました。
その1週間後・・・突然の体調悪化から救急搬送され入院。
原因は排卵誘発による重症卵巣過剰刺激症候群(OHSS)血液濃縮がひどく命にかかわるからと絶対安静。
腹水が3リットル以上溜り、呼吸障害がでるほどの状態でした。
この時は妊娠どころの話ではなく、
「とにかく早く楽になりたい。旦那さんに申し訳ない。」
という気持ちでいっぱいでした。
毎日をなんとか過ごすことで精一杯な状態でまさかの双子妊娠判明!!!
この時の正直な気持ちは、
「えー!!なんで?!無理!!!!こんな状態で双子なんて絶対無理!!!!」
赤ちゃんが欲しくて無茶をしてこんなことになり、妊娠したら無理だなんて、こんな勝手な想いを誰にも言えず一人病室で泣きました。
しかし、そんな気持ちも身体の回復とともに喜びに変わり、2010年4月妊娠34週に帝王切開で無事双子の男の子を出産をしました。
出産後の仕事
双子が1歳半の時に産婦人科を新設する病院に就職し、産婦人科外来で働くことになりました。
外来には妊活中の方も多く来られていました。
しかし、ゆっくりお話しする時間を取ることは難しく、また、話せたとしても、自分自身が無茶をして妊娠した自覚もあり、具体的で効果的なことが伝えられるわけでもなく
「役に立つことが話せたらいのに・・・
っていうかそんなんあるなら自分が知りたいし!!
せめてもっとじっくり想いを聴く時間を取れたらなぁ・・・。」
と、妊活経験のある助産師だけどただ応援することしかできないことに無力感を感じていました。
そんな中、再び排卵誘発の末、2012年三男を出産しました。
子宝整体との出会い
2016年病院を退職し、長年学びを続けていた骨盤ケアをベースに、整体と、妊娠中や育児の指導を行うみのり助産院を開業しました。
開業を決めてすぐのころ、たまたま見つけた子宝整体のプレセミナーの案内
子宝助産師への第一歩!日本妊活協会との運命の出会いでした。
子宝整体
子宝整体の本セミナーを受講中、生理は3ヶ月ごとに薬で来させていた私が驚きの第4子を自然妊娠!!
実はその1年前にどうしても4人目が欲しくて再び不妊治療を再開し、うまくいかないまま諦めた私にとっては願ってもない妊娠でした。
奇跡のように思える出来事も子宝整体を学ぶうちに、当時の生活は、子宝整体でお伝えしている妊娠する体質づくりそのものでした。
そこに意図的に妊娠力を上げる整体アプローチが加わり、妊娠して当然の状態だったとわかりました。
2017年四男も無事に出産。
四男の妊娠~出産を通して、骨格だけでなく、身体の中、卵子を作る細胞レベルから身体を整えることの必要性を身をもって知りました。
「妊娠のために必死で頑張る」よりも、「やってると身体が快適」なことを選ぶことで、楽に楽しく生きていたい三日坊主な私でも無理なく身体づくりを続けることができるようになれたのです!
子宝整体を取り入れて
これらの経験から、2017年みのり助産院では子宝整体を取り入れた妊活ケアを開始することになりました
自分自身のダメだと思っていることは実は伸びしろだよ!これのために食事をこう変えよう!それをまさに二人三脚でサポートできること、そしてそのことが力になっていると感じられること、助産院を開業して良かった!子宝整体を学んで本当に良かった!!と心から思いました。
産後ケアと妊活
妊活サポートの他に、市の新生児訪問、産後ケア、妊娠中のサポートもしています。
その中の少なくない数の方が、妊活の大変さを癒す間もなく育児に突入し「しんどい」と言えずに頑張っていることを知りました。
正しいことよりあなたのベストを
妊活にしても育児にしても絶対の正解はありません。